♥新型コロナウイルスのこと♥
2020.4.7
世の中が新型コロナウイルスの話題ばかりです。
情報が多すぎて、私の頭の中もよくわからなくなってきているので、整理してみます。
(1)救える命を失ってはならない
まず第一に絶対にすべきことはこの一点です。
連日の報道でも、医療崩壊を防ぐために、と解説や討論がされています。
医療体制さえ普段通りなら救えたはずの命が、人手や機器や入院できるベッドがないために失われることは悲しすぎます。
(2)爆発的感染増加させない
そのために必要なのが、これまたおなじみのオーバーシュートさせない、ということです。
3月時点くらいの規模であれば、重症患者さんへの対応もなんとかこなせているように見えます(集中治療の現場はそれはそれは大変でしょうが)。
(3)そのための施策は正解なのか・・・ここが議論の分かれ目です
日本のこれまでの方針を私なりに解釈すると、
1)海外(中国)からの流入を阻止する:
これは失敗に終わりました。
今となってみれば、クルーズ船の対応はそこそこうまくいっていたのだと評価できます。
しかしながら、2月時点でのミナミのにぎわいを見れば、流入阻止などできるわけがない、とわかります。
2)国内での流行を徹底的に抑える:
これもあまりうまくいっていないように見えます。それをしようと思えば、韓国のように早期から徹底的に検査をしないといけないからです。症状があろうとなかろうと、それこそ全国民に3回ずつ検査をするくらいの勢いで行わなければ徹底阻止は困難だと思います。
ただ、徹底的にウイルスの国内侵入を阻止できたところで、あるいは国民の大多数が感染することなく今回の流行が収束したとしても、世の中はグローバル社会ですのでいつまたウイルスが入ってくるかはわからず、時期外れの流行が起こるだけ、とも予測されます。
3)日本の現状は是か非か:
日本はクルーズ船が一段落して国内での感染者が増え始めた頃からクラスター潰しに主眼を置いて対応してきました。これはオーバーシュートを防ぐ手だてとしては理にかなっています。
「根拠は」とか「独断」とか、散々たたかれていましたが、学校休校は悪くなかったと思います。
(森友問題以来、安倍首相のことは嫌いです(あんなに堂々と公式の場で団子理屈をのたまう姿にはすさまじい嫌悪を覚えます)が、今回の独断は認めます)
一方で、静かな感染の拡がりに関しては無頓着(ほぼ放置)に見えます。
4日間の風邪症状の場合に限り接触者センターで検査する、というやり方は、現状にあまりにも合致しません。
8割の人は感染しても無症状あるいは軽症であることがわかっています。現状の方式ではこれらの感染者を検出することは不可能です。
味覚嗅覚異常が診断のきっかけとなった阪神の藤波選手や森三中の黒沢さんですが、一般にはこの症状では検査の対象になりません。
考えるに、日本は全感染者を把握することをすでに放棄しているのだと思います。公式には決して言わないでしょうが、その目でみると、責められてもバカにされても検査件数を増やさない今の対応が納得できます。
やみくもに検査をして無症状、軽症状の陽性者が増えても対応不可能(不必要?)。それならばその集団をあえて確認する必要なし、というのもひとつの考え方ではあります。
誰かが感染し風邪症状があったものの症状は軽く4日以内に自然に治癒。家族の一人か二人が感染してまた風邪症状。家でじっとしていてその家族は誰にも移さずに結局家庭内だけの感染で終了。いわゆる普通の風邪と同じパターンで小さな感染が完結し、気付かないうちに多くの人が既感染者になっていく、ということがすでに起こっていると思われます。
まとめると、日本のやり方は、
・全感染者を把握することはあきらめている(かなり早期からそのつもりがない)
・ある程度感染が拡がるのはやむを得ない。むしろその方がよいと考えている(?)
・集団で発病が確認されたら、その周辺(濃厚接触者)までしっかりと管理下に置くことで一気に患者数が増えるのをを防ぐ。
・重症者はECMOや薬の適応外使用も含め迅速に手厚く対応する
であり、一言で表すと、「穏やかな流行を誘導して集団免疫を獲得する作戦」ということになります。
集団免疫作戦はイギリスが宣言したもののすぐに撤回、そしてオーバーシュートと大失敗しました。
意図してなのか、そうでないのかは知りえませんが、このままほどほどで収束すれば、後に世界中から称賛されることになるかもしれません。
ということで、私は日本の施策と流行の現状をそれなりに評価しています。
予期しない感染症の世界的流行はほかの災害と同じく一定の犠牲は免れません。
これだけ世界中に拡がってしまうと、最終的には感染者(陽性確定者だけでなく検査していない人も含めて)は国によっての差は少なく人口の一定の割合になるのではないかと思います。
一部は無症状ないしごく軽症で治まるものの発病者の一定数(現時点では20%?)は入院が必要で、一定数(2〜10%)は亡くなる、これが事実です。
一つの国(日本)だけ感染者も死亡者も極端に少ない、なんてことは夢の世界かデータねつ造です。
死ぬ人をゼロにしろ、と叫ぶのは、大地震でも一人の犠牲者も出すな、と同じく無理な要求です。
すべきことは、冒頭に戻って、入院の必要な20%の人が確実に入院できる環境にすること、無駄に亡くなる人を限りなくゼロに近づける(これは望んでもよい)ことで、結果として全体の死亡者数を減らすこと、です。
そのための休校であり、自粛要請であり、緊急事態宣言と納得し、私も不要不急の外出を控えます。
(ゴールデンウイーク中に結婚記念日なのですが、ささやかな外食もキャンセルしましょう)
もちろん、身近な人や(テレビなどで)見知った人を亡くすのはとても悲しいことです。
私は子供のころ圧倒的にカトちゃん派(というより仲本工事派)でしたが、志村けんさんの死は皆さん同様に大きなできごとでした。
加藤茶さんのテレビでの弔辞「次は絶対高木ブーだと思っていたのに…」が面白くてさびしかったです。
しかしながら、国あるいは世界全体の感染症流行の事実と個人的な悲しみは別の問題です。
「悲しんでいる人がいるのに『一定の割合で死ぬのは免れぬ』なんて平然と述べやがって」など、客観的な事実を述べることに対して感情論で非難するのはなにかおかしいと思いますが、うまく文章にあらわせません。
(もう少し考えがまとまったら追記します。まとまらないかもしれません)
最後に、緊急事態宣言が前例になって、何だか知らない間に「国難だから我慢しましょう、欲しがりません勝つまでは」とかにならないことを願います。
hirotani-clinic「@」heart.plala.or.jp (迷惑メール防止のため@の前後に「」をつけています)