「大往生したけりゃ医療にかかわるな」のこと

2013.10.22

 

もう一年以上前になりますが,一人の患者さんから新書をいただきました.

中村仁一先生の「大往生したけりゃ医療にかかわるな」という本でした.

「これを読んで大変感銘し,自分も医療の事前指示書を書いておきたいのだが...」とのことでした.

 

以下は,それを読んで患者さんにしたためたお返事です.

読んでいただけばわかる通り,私の考えはこの先生とは相反し,かなり批判的な文章です.

 

一年を経た今も私自身の考えはかわらないので,このサイトを訪ねて頂いた(数少ない)皆さまにも読んで頂いてみようと思いました.

元の本を読んでおられない方にはなんのことかわからない部分も多いと思いますが,ご容赦下さい.

気になりましたら本屋さんで購入して読んでみて下さい.

批判的な文章が本の売り上げにつながる,というのもなんだか矛盾でおもしろいです.

 

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 面白い本をありがとうございました.診療の合間に(途中からはかなりイライラしながら)読ませていただきました.

 

 私の結論としましては,大筋合意しなくもない,細部にはおおいに異議有り,というところです.

 

 まず,この本は,「私の人生はもうそろそろ終りでいいかな」と思うことができる十分に高齢の方のための本だということを最初に述べるべきです.「大往生」というタイトルから多くの人はそういう意味にとらえるでしょうが,まちがって(比較的)若い世代の人が真に受けてしまうと大きなまちがいを生じそうです.

 すなわち,若い世代の方がこの本を読んで「医療を拒絶」してしまうと,胃潰瘍など治療を受ければ「治る」病気で命を失うことになりかねませんし,また,高血圧や高脂血症,糖尿病など,様々な合併症を予防することができる病気の対策をとる機会を逃してしまう可能性も高くなります.

 

 では,いつからが「治る病気」さえも拒絶して悔いのない年齢なのか,という大きな課題もあります.これは完全に個々人の人生観によります.

 一方で,医療経済的には,予防的な医療(血圧やコレステロールなど)を受けずに脳梗塞,心筋梗塞になってしまった時の治療費総額は予防的医療をしっかり行う場合の長年の総計よりも高額になることが知られていますので,この先生の考えに従うのであれば,最後まで徹底的に医療を拒絶するド性根が必要です.そうでなければ医療費の面で他人に迷惑をかけることになります.(今,心筋梗塞は急性期治療を適切に行えば発病以前と同じ生活に戻れる可能性が高く,それでも死ぬことを選ぶ,という,かなり肝のすわった選択ができるのかどうかも気になります)

 

 その前提であれば,「枯れるように,眠るように最期を迎える」ため「医療を受けない,何もしない」ことは悪くないと思います.

 ただ,それはこの本に書かれているような「医療界にとってまったく非常識,理解不能」なことではありません.病状と年齢・全身状態を両目で見比べつつ決定される一般的な選択肢の一つとして広く認知されていると思いますし,私のところでも,癌の方もそうでない方も,いわゆる「老衰」と考えられる方を自宅で看取る時には基本的に何もしません.

 

 この本の著者の中村先生にはまちがった思い込みや今どきでない古い考えにとらわれておられる部分が少なくないと思います.

 たとえば,大学の医局に関する記述や医師のステイタスのヒエラルヒーのお考えなどは,少なくとも私の世代以下では笑止,と感じます.また,健康診断を受けることを否定される根拠として挙げておられる被爆や精神的ストレスなどの項目は,治療可能な病気が見つかってうまく対応できた,という恩恵に比べればあまりにも重みが低いと感じます.配慮は必要ですが,同列に述べるべきことではありません.

 癌は何もしなければ痛くない,のも間違いだと思います.私は発見時点で治療の対象にならなかった肺癌の患者さんの往診をすることが多いですが,高齢でも比較的若くても,多くの方は胸が痛いです.大腸癌の腸閉塞も痛いです.骨転移の痛みは耐えられないと言います.中村先生がみておられるのは特別養護老人ホームという全身状態のとても悪い方たちだから,という特殊な事情があるのではないでしょうか.(もっとも,この本には「何割かの痛むグループに入ってしまったらのたうち回って苦しもう」と書いてありますが)

 

 そして,この本の最も卑劣な点は,自分(あるいは自分たち)以外の医者,医療を邪悪なものとしてきめつけ,否定していることです.

 「高齢者は飯の種」というような言い方は医師の人格全否定であり,すべきではありません.教授や院長といった権威あるものをあえて否定し,おとしめるやり方も同様で,橋下大阪市長の「学者は世間知らず」「官僚は陰湿陰険」ときめつけ,全てを否定することで何も言わせない雰囲気を作る戦略と共通です.

 「処方してもらった薬を服用せずに様子をみろ」などと医師と患者さんとの信頼関係をぶち壊すようなことを堂々と推奨しておられるのも看過できません.もし,私の処方した薬を患者さんが自己判断で意図的に服用されないのならば,私の方からその方の診療は遠慮させていただきたと思います.

 他にも,「往診医を呼んだらあれこれして苦しめられるから息を引きとってから呼びましょう」とか,「救急搬送されたら地獄の責め苦が待っています」,あるいは「ホスピスは尻拭い」など,浦島太郎かと思うような世間知らずで侮辱的な記述を一般の方がそのまま信じてしまわれたらどうなることか,と思います.

 

 

 私は,私のかかわる患者さんには無駄死にして欲しくありません.脳卒中や心筋梗塞が(たとえ30人に一人でも)予防できるのであれば血圧の薬を飲み続けて欲しいですし,手術可能な肺癌を発見できるのであれば被爆を恐れずCTをとっていただきたいです. 

 私の接して来た患者さんたちは,中村先生の関係される方々とは異なり,自分の今の症状が何の病気かわからないことが最も不安だと言われました.たとえ癌でもわかってしまえばそれはそれで開き直れる.そして,残された時間を有効に使う事ができる,と感じます.(だからこそ,私たちは今100%の告知をします)

 また,癌の手術を受けられた方は確かに,何か症状があるたびに再発ではとの不安がよぎる,と口を揃えられますが,だからといって,あの時検査も何もせずに死んでおけば良かった,と言われる方はありません.

 どう生きるか(死ぬか)は,診断を受けて治療不可能な病状が見つかったその時点でを考えていただきたいと思います.

 

 最後に,お尋ねの「事前指示書」ですが,201ページにある中村先生のそれは,それまでの内容とは一転してとても現実的です.この内容なら私も宣言してもいいかなと思えます.

 ただ,皮肉にみる訳でもありませんが,いくつもの例外的な病状が目に浮かびます.特養の患者さんのような全身の悪い状態でなく,まったく元気に歩いているような状態でおこった回復可能な心停止(たとえばペースメーカーを植え込みさえすれば元気にすごせるような場合),(3日くらい透析すれば元にもどれると予想されるような)回復可能な急性腎不全で死んでしまって悔いは残らないのかな,と思います.

 

 結局のところは最初に戻って,「自分の人生はもうそろそろ終りでいいかな」と思うことのできる方が参考にすべき本なのだ,ということでしょうか.

 

 

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