「原子力発電所」のこと

2012.5.25

 

 

昨年の3.11以降,原発の存在についてありやなしやの議論が活発です.

医師である私はクリニックで毎日のようにレントゲン撮影を行いますので,放射線に多少なりともかかわりのある職種です.また,原発の報道でも多くの「専門家の医師」が放射線の影響についてコメントを発信しておられます.

 

しかしながら,私自身はといいますと,恥ずかしながら被爆の身体への影響や対応などなどについては,まったくもって素人同然,テレビで見聞きしたこと以上の知識は持ち合わせていません.(堂々と宣言することでもありませんが...)

 

それでも,原発のことに関して考えないではいられない今の日本の現状ですので,ニュースを見てははなはだ無責任な考えをあれこれと巡らせています.

 

ただ,原発についてなにかを発言しようする時,大声で,賛成〜!というのも何だかヒンシュクを買いそうな雰囲気ですし,では,反対〜!と叫ぼうとしても,まわりには直接間接に原発にかかわる友人知人があり,また強く反対する立場の方々の発言にも微妙な考えの相違を感じます.しかも,誰かの発言に違和感を感じてもそれを声に出してしまうと「エゴ」やら「非常識」と思われそうでもあるし,自分の素直な考えをまとめようとすればするほど「いやになっちゃう」わけで.結局,余計なことを言うのはやめにして家族や仲間内で酒飲みながらうだうだ言うのが精一杯なわけです.

でもって,心の中で思っている正直なところは「市民の声」や「世論」といわれるものとは少しズレているような気がするのです.

 

 

決して専門家ではない,ということをしっかりと前置きしておいて,思うところを述べてみたいと思います.これは,「今」思っていることで,根気に欠ける性格上いつ変わるかもしれないことも念をおしておきます.

 

私の結論は,やっぱり原発はなしにしてほしい,です.

 

1.放射性物質は恐い

3.11では一発の原発事故で日本国は大きなダメージを受けました.

「誰も死ななかったじゃないか」という発言をテレビ聞いたような気がします.だからリスク管理はできていたのだ,という発言です.それは違うと思います.大切な国土の相当な部分を今後相当な期間にわたり失ってしまったことが,「死ななかったのだからよかったよかった」とはとても思えません.

何十年に一度なのか何百年なのか,何千年なのかは知りませんが,その一度で致命的なダメージを受けるものは持っておくべきではないと思うのです.

 

大学で研究していた数年間,RIを使った実験もしていました.RIはラジオアイソトープのことで,化学物質に放射能を発する物質をくっつけ,その化学物質がどのように変化したかをいわゆる「レントゲン写真」あるいは「ガイガーカウンター」で確認する,という(かなり大ざっぱな説明ですが)ものです.それがなければ目に見ることができない変化を確認することができる,現代の科学にはなくてはならないものです.

使っていたのは3H(トリチウム)や131I(ヨウ素)などで,131ヨウ素の半減期(放射能の放出が半分になるまでの期間)は8日,トリチウムは12年ほどです.トリチウムを使う時は,「私が実験に使ったこの液体から10年以上にわたって放射能が出続けるんだなぁ.安全になるまでどこかでしっかり保存しなきゃいけないんだなぁ」と漠然と恐ろしさを感じました.

それよりもっと恐ろしかったのは,実験棟の出口の関所(放射線検出器)とその担当の先生で,白衣にわずか一滴でも試薬が付着していただけでけたたましくアラームがなり,全身調べられ,実験していた場所の放射線チェックさせられ,ふき掃除させられ,(こぼした私が全部悪いのですが)とにかく大変なのでした.

 

その,すり込まれたような「放射線はわずかでも漏らしちゃだめ」の思いと,今回の事故後ののほほんとした(ように思えました)専門家や東電,政府の「ダイジョウブ」の発表はとてもとてもギャップがあったのです.

ましてや今回の事故で主に測られるセシウムの半減期は短いもの(セシウム134)で2年,長いもの(セシウム135)では230万年とやら,まったくもって途方にくれます.放射性物質は除染することで「場所を移動」することはできるけれども,「放射能を消す(減らす)」ことはできず,ただ時がすぎるのを待つしかないわけで,それが何万年,と言われた日にはさじを投げるしかないのではないでしょうか.

 

  1. 2.国防の弱点になる

私はふだん「国の守り」というものを全く意識しないで生きています.自衛隊の是非やら憲法9条やらも不謹慎ながら意識の外です.

そんな私がもし日本国を敵に回して決定的なダメージを与えてやろうとしたら,原発をねらいます.

私でさえそう思うのですから,テロリストや戦時の敵国(繰り返しますが,私は決して好戦的な人間ではありません)も同じことを考えるのではないでしょうか.

今回の大地震のあとの国をあげてのあたふたさをみれば,原発ひとつ潰せば国土や国民だけでなく,日本国の指揮系統に相当大きな混乱を与えられることがわかります.

(途中で爆発しない性能のものでしたら)ミサイルの標的も原発で決まり,ですね.核弾頭を持っていなくても同じ効果なのですから(本当に同じなのかどうか詳しくはしりません).

ただし,後で占領統治する計画ならばこれは別の方法がよさそうです.

 

  1. 3.原発は安い,は,どうみてもウソっぽい

原発の発電コストは安い,との説明は以前から胡散臭いと思っていました.廃棄物の捨て場を確保できるわけがないからです.どう考えてみたって自分ちの近くに放射性物質捨てていいですよと承諾する人はいないでしょう.モンゴルに,という話が進みつつあったと聞いた気がしますが,これはあまりにも先進国のエゴが過ぎると感じます.地球の中心のマントルまで運んで捨てる説や,ロケットで宇宙へ捨てに行く説などなどSF小説のような方法しか残っていないようで,そのコスト計算はそもそも可能なのでしょうか.

さらに,一度事故が起こると東電がつぶれました(会社は生き残っていますが,実質的にはその解釈でよいのでしょう).下手すると国の財政もつぶれそうです.

これが本当に「安い」ものなのでしょうか.

 

4. いろんなことを言っている人たちがちょっといやだ

・原発がなければ日本の産業が持たない

 国がなくなっちゃぁおしまいよ,とツッこんでしまいます.

 

・日本がやめたって中国が何百基もつくるんですから,風に乗って放射能が飛んでくるんですから.

 三宅久之さんが「TVタックル」や「たかじんのそこまでいって委員会」で何度も発言しておられますが,これも違和感があります.店番がうたた寝している店の品物をとって行くドロボウが,「私がとらなくても,誰かがとっていくんだから」と言っている(我ながらちょっと変な例え)ように聞こえます.

 

・関西電力の「一昨年なみの場合,今年の夏は○○%不足」

 なんで「一昨年」やね〜ん!!.多かった時を選んで比べてんちゃうかぁ??

 当初,ただし大飯原発再開すれば大丈夫,といっていたものが,あまりにあからさまと気がついたのか,それでもちょっと足りない,と変更されたのは,なんだかなぁという感じです.

 

・8割以上は関電関係の宿泊客で賑わっていたのに今はガラガラ.

 原発の地元の民宿のおじさんの生活が切実に切迫しておられてとてもとても困っておられるのはまさにその通りで大変な問題なのでしょうが,国のレベルで方向を選択,決断すべき問題に際して斟酌(しんしゃく)されるべき事柄ではないように思います.原発ができたおかげで閉鎖された火力発電の町にもきっと同じことがおこったことでしょう.この大きな問題に際しては「地元の経済」は別の問題と考える方がよいと思います.

 

・CO2だくだくの火力発電に戻って地球温暖化がすすんでもいいのか.

 よく知りませんが,地球温暖化は少なくとも100年単位の話でしょう.

 今ここに少々多くのCO2があっても当面だれも困りません.ちょっと多めに吸っても命はとられないです.これから百年の間に,CO2をコントロールする技術は生まれないでしょうか.

 かたや原発です.地球上に原発ができてから私ですら知っている範囲でもスリーマイル,チェルノブイリ,フクシマと事故が起こりました.この次は何年後なのか,何百年後なのか,あるいは起こらないのかはわかりませんが,決してゼロにはできないヒューマンエラーがある以上,講じられる安全策に万全はないと思います.そんな不安を感じながら過ごす百年と,CO2削減の技術できないかなぁ,と期待しながら過ごす百年だったら,私は後者の方が良いような気がします.あらゆる場面で先送りが大好きな日本人(政府)がなぜ温暖化の問題だけこんなにも地球の未来のことを考えてくれるのでしょうか.化石燃料の枯渇という別の問題もありますが,小学生のころ教わった知識では,もうとっくの昔に石油は地球からなくなっているはずでした.

 

  1. 5.最後に.

袋だたきに遭いそうな予感もしますが,感じていることを素直に記してみることが目的の文章ですので,あえて書いてみます.また言い訳をしますが,歴史的経緯も地元に落ちるお金の詳細な内容も知らないままに書いています.この文章を書くための調べ物は一切していません.報道番組や新聞はよく見る方だと思いますが,深く考えることや自分で調べたりすることはなく,ただ表面的に直感的に見聞きしています.

 

原発立地自治体への交付金や電力会社からの寄付金(?)はなんのためにあるのでしょうか.

事故さえなければ,原発は雇用を増やす地元の産業として歓迎されるもののようです.(原発のある自治体の長の方のテレビでの発言をみてそう感じました).

ならば,なぜ巨額のお金が交付されるのでしょう.素直に考えればこれは,「何かあったらゴメンね料」と考えつきます.「何かあったらごめんね料」をもらうということは「何かあったらあきらめるからね」の意思表示とは違うのでしょうか.そのかわり,何もなかったらラッキー丸儲けです.そこにはある意味で博打的な決断があるはずで,圧倒的に優位な「何もない」の目の方に町の存在を賭けて今のところ負けていない(フクシマはその賭けに負けた)という風には思えないでしょうか.賭けに負けた時に言い訳が許されないのは子供たちのくじ引きから仲間内のマージャンまで(私は無調法でマージャンも打てませんが)の共通事項であって,想定内とか想定外とか,だれが絶対安全と言った,とか言ってみても仕方のない事です.

 

 

今回の大地震で,フクシマのことがなければ,東北は今の何倍何十倍のスピードで復興していたであろうことは,阪神の例をとるまでもなく誰の目にも明らかです.

直感的に「だってイヤなんだもん.原発以外でなんとかなるように考えてよ」と政府や電力会社,研究機関に言ってみてはいけないのでしょうか.それこそが庶民の特権のようにも思うのですが...

 

 

hirotani-clinic「@」heart.plala.or.jp (迷惑メール防止のため@の前後に「」をつけています)